鹿児島の食とデザイン

鹿児島県の重要産業である「食」に関して、デザイン及びデザイナーの力で付加価値を高め、食産業の活性化する事業をおこなっております。

鹿児島の食とデザイン-インタビュー

インタビュー

1.28

クリエーターfile.3. アートディレクター 冨永 功太郎 氏

鹿児島のデザインはもっと面白くなっていく

アートディレクター 冨永 功太郎 氏

webインタビュー第3回目は「株式会社 冨永デザイン」の代表でアートディレクターの冨永功太郎さんにお話を伺います。鹿児島にまつわる数々のデザイン作品を手掛けた冨永氏に、独立前から現在に至るまでの様々な経験や想い、アートディレクターとデザイナーとの関係、鹿児島とデザインについて話を伺いました。

「広告デザインへの憧れから全てがスタートした」

-デザイナーの仕事はいつから?

20歳のとき専門学校を卒業して最初のデザイン会社に入りました。当時は広告のデザインだけに興味を持っていましたが、ロゴや名刺、パンフレットやDMなどデザインが関わる全般的なことをやりたかったんだと思います。その会社を辞めるタイミングがあって。社内でも最初の頃とは違って3年経てばだんだん重宝されるようになり、できるんじゃないかというある意味勘違いの第一波だったようにも思います。パソコンを買って自宅兼事務所の形でスタートしました。

-独立してみていかがでしたか?

本当に最初は大変でした。もう少し会社で修行するべきだったという後悔もしましたね。とは言え、最初の会社は定期的に広告理論の授業があったり、いいデザイン、エッジの効いたデザインをする素晴らしい先輩がいて、また別の会社で働くというのは考えられないとも思っていました。それ以上の人たちはいないだろうと。そのうち代理店に売り込みに行ったりして仕事をさせて頂けるように。その時はフリーで仕事しながらもう一度広告の仕事を教えてもらったようなもので、本当に有り難かったです。

「全てに意味のあるそれぞれの分野」

-冨永さんの名刺にはアートディレクターと書いてありますね。アートディレクターとは?

専門雑誌などで憧れて見ていた広告の世界は全て分業制。アートディレクターがいて、デザイナーがいて、コピーライターがいて、カメラマンがいて。だから分業制には意味があると思っていました。例えばすべて自分でやるとなると、アイデアを考えるにも自然に制約をかけてしまうものです。例えば、こんなシーンは撮影できないだろうとか、費用がかかるとか。良い意味で無責任にアイデアを考えられた方が良いと考えていました。

-それで冨永さんと篠原さんの体制になったのですか?

だから多少無理してでも早いうちにその体制にしたいと、デザイナーの篠原君(冨永デザイン)と一緒にやることに決めました。本当は人を雇うような余裕はなかったけど、全部一人でやって予定調和なものを作ったり、ただ仕事をこなす日々になるのは避けたかったんです。ある日仕事で関わりある雑誌のデザインのテイストが変わったことがあって、いいなと思ったことがあったんですが、後からそのデザインをしたのが篠原君だとわかったこともありました。10年以上一緒にやっています。

冨永さんが手掛けた『旅する丸干し』シリーズ

~冨永さんが手掛けた『旅する丸干し』シリーズ
リーフレット(小冊子)には、世界の海を旅するウルメイワシの丸干しの物語と共に、シリーズ商品とレシピの紹介も。消費者を楽しくさせてくれるのも、デザイン効果のひとつ~

「効果がないと、デザインした意味がない」

-食に関連する最初のデザインは?

薩摩焼酎のラベルですね。ちょうど焼酎ブームもあって、新聞や雑誌などグラフィックの仕事と一緒にラベルリニューアルのタイミングで声を掛けてもらったのが最初です。

-パッケージデザインは他のデザインと違いますか?

「鹿児島の食とデザイン」が始まるころからパッケージデザインの機会が増えてきました。その前は、焼酎のラベル以外ではあまり経験はなかったんです。ですが、商品のポイントはどこで、タッチや雰囲気はこんな感じで、誰を振り向かせないといけないというプロセスで考えれば、それは広告の媒体をデザインするときとアプローチは同じなんですね。だから広告デザインの経験を応用している、パッケージデザインに生きています。広告をちゃんとやってきて良かったなと思います。

-大切にしていることはありますか?

どんなデザインでも効果がないとやった意味はありません。そんなにバジェットが大きくない中で鹿児島の企業が予算を捻出して依頼してくれると思うと、その効果を大事にしたいですね。

「鹿児島でのデザインの仕事」

-マッチングやセミナーなど「鹿児島の食とデザイン」ご協力ありがとうございます。

デザイナーは作る側=裏方だから表にでるのは遠慮したい気持ちが大きかったのですが、今は必要があればデザイナーも人前に出てちゃんと伝えないといけないと思うようになりました。自分自身、人前で話すのはもともと苦手ですが、年齢やキャリア、中堅という位置づけを考えると、そこはやらないといけないと思っています。

-知ってもらうことは大切ですか?

若い頃からデザインを鹿児島でちゃんとした職業にするんだと思ってやってきたし、デザイナーとして生活できるようにしたいと思ってやせ我慢もしてきたところもあります。鹿児島にもちゃんとしたデザイナーがいるんだと知ってもらいたいといつも思っています。

「鹿児島とデザイン」

-打合せなどで鹿児島のことを熱く語る冨永さんが印象的です。
鹿児島が好きですか?

好きかどうかを考えることもないけど、鹿児島、好きなんでしょうね。

昔のことを考えたとき、鹿児島の人が堂々と、誇りをもって鹿児島や鹿児島のものを良いと言えたかというと違ったんじゃないかな。自分自身も田舎コンプレックスが強かったですし。でもこの10年で地方に目が向いて、鹿児島がメディアに取り上げられることが増えました。新幹線やインターネットで心理的な距離が近づいたこともあるんでしょうね。時代が変わってきました。

-では、鹿児島のデザインは変わりましたか?

変わったと思いますよ。

いくつか要因あると思いますが、まず、鹿児島の食とデザインのような動き。それにデザイナーも自分が作ったものを自分が作りましたと表明する場面が増えてきました。そういう場に出ていって自己紹介してとなると逃げ道もないわけです。昔は正直、鹿児島は価格が低い、理解してもらえないとデザイナー自身がクオリティに対して言い訳していたところもあったと思います。その言い訳に隠れて闘うことから逃げたり、全力で取り組まないこともあったでしょう。今でもそういうケースもあると思いますがその割合は減ってきたと思います。

他の地域もそうかもしれないけれど、これは絶対美味しい味だから、よい農産物だからと、中身さえ良ければ売れると思いがち。でもそうではない、伝えるべきことは伝えなければと鹿児島の人たちが本腰で気づき始めた、取り組みはじめた。そういうタイミングで、自分がこの年齢でデザイナーとして関われて良かったなと思います。これから鹿児島はもっと面白くなっていくのかなとも思います。もちろんハードルもあがっていくでしょうが。

冨永 功太郎

冨永 功太郎さんプロフィール写真

Profile:鹿児島県出身。平成6年赤塚学園ビジネス専門学校(現タラデザイン専門学校)卒業後、デザイン会社へ入社。平成9年に独立し株式会社冨永デザイン事務所設立。広告全般の企画制作、販売促進ツールの企画・制作、新聞・雑誌広告、店舗装飾のデザイン(ロゴ・サインなど)、CMの企画・演出を手掛ける。平成17年・第1回/平成19年・第3回「南日本広告文化賞」グランプリ受賞。平成19年「薩摩焼酎認証マーク」最優秀賞受賞。平成25年「九州アートディレクターズクラブ K-ADC AWARD 2013」CI・シンボル・ロゴ・タイポグラフィー部門 金賞受賞。