イラストのチカラ。創造する楽しみと広がる世界。
webインタビュー第1回目はイラストレーターの大寺 聡さんにお話を伺います。
鹿児島生まれ東京育ち、現在は鹿児島県日置市吹上町で活動を行う大寺さんに、イラストの仕事について、またその可能性や地方での新しい取り組み「OSHIKAKEデザインプロジェクト」について聞きました。
「イラスト独自の着地点、そこが一番気持ち良い場所」
-大寺さんがイラストレーターになった理由は?
子供の頃から絵を描く事が好きで、それを止めなかっただけですね。漫画家になりたい時期もあったけどストーリーが思いつかなくて(笑)。「絵一枚」で生きていける方法は何だろうと真剣に考えたのが中学一年生。ちょうどSFアートが流行っていて、シド・ミードや長岡秀星さんに触発され、映画「スターウォーズ」ではカルチャーショックを受けました。やりたい事が見えてからは部活も辞め、毎日放課後に友達と絵を描いていましたね。
-アートの世界よりデザインの世界でのイラストを仕事に選んだのは?
マンガだとストーリーがあり、キャラクターへの感情移入が必要。絵画・アートだと作家側の主張が直接表れる側面があり、それに比べイラストは匿名性が高いんじゃないかな。だから作者にとらわれず自然と生活に溶け込む。「えっ、これもあの人が描いているの?」と後から分かるようなことも良くあります。それが自分には気持良くてこのスタイルが好き。デザインの世界では依頼された中に自分を融合させる、自分らしさも相手の意向も共に反映する着地点を探す事が自分にとって価値ある行為なんです。
「イラストには自由に想像できる幅がある」

もともとは年賀状用に描いたが、ベースはこの地域で人口が減っており、こういう未来もあるんじゃないかという想いから作った“勝手に未来予想図”。
-イラストの特徴、イラストだからできることって何ですか?
1970年代は観光ポスターも写真でなく絵が大半だったけど、今や写真が慣例。写真がダイレクトに訴える一方で、イラストは実物を想像するゆとり、即物的でない面白さが出せるんじゃないかな。見えない世界を感じさせたり、創造力を喚起させることが出来るんです。例えば地域・企業・人々の生活を「未来予想図」に描く。イラストだから表現がスマートで、描いて人と共有出来る、広がる世界に可能性があるでしょ。
「田舎暮らしは、自分で生活をデザインする感覚」
-東京から 祖父の住む地であった吹上に移り、今想うことは?
田舎では都市部より21世紀未来型の小さな暮らしが実現可能だと思います。庭でたき火して焼き芋を焼いたり、自然の再利用。全て自給自足なわけでなく普通の暮らし、都会よりむしろ豊かですね。誰かが舵を取る都市の暮らしと違い、自分で生活全体をデザインする。自然の中で生活していると生活リズムも変わるけれど、何より想像力のふり幅が違いますよね。
大寺さんのオフィスは外の自然とオフィス内の仕事の世界が同時に視界に入り、2つの世界を行ったり来たり出来る。
-仕事面で困る事はないのですか?
吹上に移った後の仕事割合も以前は8割東京だったのが、今は鹿児島と同じくらい。特に困ることはないですが、鹿児島でのデザインの仕事は細分化されておらず、マルチプレーヤー的役割に苦戦している人の話も聞いたことがあります。
-東京を離れることに、迷いはなかった?
東京での仕事も、一度も顔を合わせず進む事もあったし、インターネットが広がり始めたことも鹿児島暮らしの後押しに。田舎には仕事がないって話が良く出るけれど、技術的には解消されていると思う。事務職の人ほど、在宅勤務出来ると思うんです。それに田舎暮らしを迷っているなら、心配するより実際移ってから考えればいい。人が少ない所ほど期待される、田舎ではまわりの人がほっとかないですよ。
「普段から、省いていいものと大事にしたいもの、その差を意識的にもったほうが面白い。」
-都会から田舎へのIターンを考える人にアドバイスするとしたら?
都会で5年位の修業後、人脈を得てから田舎に来るといいのでは。有能な若者が最初の仕事でつまずき、すぐ諦めるのはとても残念です。そんな時に人脈の有無がものを言う。それと、大きなデザインの歴史や文脈を知った上で自分の立ち位置を自覚していないと、自信過剰で終わってしまいもったいない。現代はネット社会で便利な一方、歴史性とか文脈への理解が分断されていますね。今の若者は器用、でも基礎への理解の有無で成長に差がでると思います。
-良いデザインにしていくには、何が必要ですか?
デザイナーに頼めば何でも解決できるわけじゃない。依頼側も色んな作品を見て、好き嫌いの感覚を養うといいんじゃないかな。そしてこの人なら話しができそうだと思うクリエーターを探してほしいですね。その上で、真似ではなくビジョンに向かい新しいものを作っていく・・。
「技術を重ねていくと、自然なものになる」
-残念に思うデザインってありますか?
かっこつけすぎているもの。僕にとってそれはダサいことと同じ。あとは気合が入っていないもの。既成フォント打ちっぱなしやフリー素材使いっぱなし、そういうものは見てすぐにわかる。僕はおしゃれ感だけの作品じゃなく職人技的な確実なものを求めているんです。技術を重ねるとすごく自然なものになり、アザトさがないのが良いんです。そして作品に「何かひっかかり」があることも大切かな。「何これ?」というもの。それは自分にとっても課題ですね。
-大寺さんの作品のよりどころは?
今も作画時に必ずデッサンするし、若い人にはデッサンをやれと言います。石膏デッサンが良い例で、白いものを白い紙に描き写す事に僕の青春のほとんどを費やしたんです。形が正確というのは初歩の段階、画面の中で白と黒のバランスがどうとれるか、余白の緊張感、デザインのエッセンスが全てが詰まっているんです。
「求める声が無い場所にこそデザインの力を。」
OSHIKAKEデザインかごしま(ODK)
いわゆる「地方の商店街」を舞台として、メンバーとなるデザイナーに割り振られた店舗を取材し、ポスターを各1枚制作。依頼も無く、デザイン料も発生しない場所にOSHIKAKEて、デザインの力で問題解決を試みるのが目的。
-きっかけは?
蒲生のカフェ「zenzai」の浜地さんから、「大阪の世界市場のポスター展を例に、とにかくシャッター商店街をポスターで賑やかにするプロジェクトを鹿児島でもやりたい」という構想が出てきました。人が賑わっていない所でやることに意義があると感じたんです。当事者がいないと地元の人からも信用されないしその後の責任がとれないということで僕に声がかかり地元の永吉で行うことになりました。
-プロジェクトはどのように進めたのですか?
店舗数から考えて20~60代の約10人のデザイナーに声をかけました。担当店舗とデザイナーの組み合わせはクジで決め、その後各組の話し合いを経て、当日、店舗に完成品を見てもらうという流れでした。
-活動してみて、率直な感想は?
震災以降、デザインの土台も大きく揺らぎ、大量消費社会や経済効率社会を見直そうという動きをベースに何か「次の手段」を考える必要が出ています。これまでのデザインは消費を促す仕事的要素が大きかったけれど、今回のODKはデザインと接点のない個人商店と関わり、新しい時代の答えを探るものだったんです。もちろん過去の経験を活かすとはいえ、勉強していく側面がとても強かった、今後もまだ模索中ですね。
大寺 聡
Profile:1966年、鹿児島県生まれのフリーイラストレーター。1990年武蔵野美術大学デザイン学科卒業後、東京を活動拠点としていたが、2000年、鹿児島日置市吹上町に移住。テレビ、広告、書籍、WEBと活動は幅広く、最新のデジタル技術と豊かな自然をテーマに表現活動を行う。2004年文化庁メディア芸術祭審査員推薦作品、2011/2012年南日本広告文化賞グランプリ受賞など。